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時計と祖父
雑貨屋さんで半額だった時計。
両面が時計盤になっており、そのうちの片面が壊れてるので半額というなんだかなるほどと思ってしまう理由。
しかし今になってよくよく考えてみると、壊れているものが半額って高いのでは……?
さて、この時計はフックなどに引っ掛けるタイプではなく、壁に固定するタイプの時計でした。ですので、当時は元気だった祖父に壁につけてもらいました。
うちの祖父
祖父とは同居していましたが、あまりしゃべるタイプではなかったので会話は少なめでした。
近所でも有名なワガママじじいで、他所のおじいさんと口喧嘩も日常茶飯事。
そんな祖父なので家族からの人気はいまひとつでしたが、わたしはわりと好きでした。
なんというか自由で嘘がない生き方をしているんです。
仕事は嫌だからあまりしないなんて困った性分で家族にもだいぶ迷惑をかけたようです。
父は県外の大学へ進学しましたが、学費や生活費の仕送りは一度もなかったそうです。
近所でも一二を争う偏屈爺さんだったけれど、初の内孫であるわたしには割と良くしてくれたと思います。
わたしが病気になって、元気がなかったころのこと。
祖父の運転で、二人でドライブしました。
特に何を話すわけでもなく、ただただ近所を走りました。
きっとわたしの元気がないのを心配してのことだったと思います。
祖父が亡くなってから、不思議と思い出す出来事です。
すれ違いの生活
祖父は骨折してから体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。
ちょうどコロナの頃でお見舞いに行っても会えない日々が続きました。
携帯ももっておらず(持っていてもきっと使い方がわからず使わなかったでしょうが)、電話で話すこともできませんでした。
退院して家にいるときも、わたしが出勤するときには朝早いので祖父は眠っており、わたしが仕事から帰ってきても夜遅いので祖父は眠っていて、とすれ違った生活でした。
今になると、たくさん話して一緒にいておけば良かったと後悔しています。
祖父が車椅子になってからは寝室から出ることも難しかったので、わたしが側にいって話しかければよかったのに。あの祖父はまだまだ長生きすると思って寝室にはほとんど行きませんでした。
思い出
祖父はヘビースモーカーでいつもたばこ臭い。
小学生の頃から本当に何度も何度もタバコを辞めてくれと言っても全く響きません。
毎晩、日本酒で晩酌。
けれどもさすがに入院してからはたばこもお酒も辞めました。
それからはどんどん痩せていく祖父。見ていて寂しくなりました。
祖父が亡くなったあと、お葬式用に写真を選びました。
祖父の写真は、大体同じポーズで仏頂面なものが多くて難儀しました。
なんとか笑顔の写真を見つけましたが、この写真を選ぶ作業は楽しかったです。
「この写真は?」と家族や親戚に聞くと、「懐かしい」「このときは〇〇だった」と思い出話になり、祖父がたしかに生きていたこと、そして亡くなったことが実感できたのです。
じじいの時計
そして時計を見ても祖父を思い出します。
「おじいさんの時計」ではなく、おじいさんと時計ですね。
うちの祖父は「おじいさん」なんて柄ではなく、「じじい」が似合いますが。
この時計、デザインが気に入っていることもありますが、祖父との思い出もあり持ち続けたいものの一つです。